二人の出会いは
ケアマネ講師の研修会
齋藤 本日はお忙しい中、ありがとうございました。まずは、お二人の出会いや経歴をおしえてもらえますか。
神内 最初の出会いはケアマネジャー(以下「ケアマネ」)の実務研修でした。まだ瀬戸さんがリーダー役だったころですね。ファシリテーターをさせてもらっていました。当時、ご一緒する機会が多かったと記憶しています。
瀬戸 そうでしたね。もう全然おぼえていないというか、だいぶ昔のことのように思います。ケアマネ試験、わたしは第1回目時は受験資格がなかったので第2回目の試験を受けて合格し、その回から講師役を務めました。1999(平成11)年のことです。わたしの娘が生まれた年でしたので、年号だけはよく覚えています(笑)。
神内 わたしは大学を卒業後、就職もできないまま札幌にいて夏前に地方の知的障がい者施設に拾ってもらい、その後札幌に戻ってきて老人保健施設のデイケアで初めて介護の仕事をしました。そして、介護保険が始まる直前の1999(平成11)年に医療法人渓仁会(途中、社会福祉法人に転籍)に入り、ずっとお世話になっていました。その後、介護老人福祉施設手稲ロータスに移り、退職の翌月昨年の10月に合同会社を設立。主任ケアマネの資格を取得して、今もなお実務者研修の講師をやっています。瀬戸さんたちがケアマネ養成の第1世代だとしたら、ぼくらは第2世代なんです。昔はケアマネになるのは「徒弟制度」みたいな雰囲気があって、今とは全然違う世界でしたね(笑)。
瀬戸 わたしは福祉系の大学を卒業後、東京で福祉新聞の記者をやっていました。15年間東京にいて、親の「帰ってこないのか?」という声もあり、ちょうど現在の社会福祉法人栄和会が立ち上がるタイミングで入職しました。栄和会での最初の仕事はデイサービスの相談員。大型バスの免許を持っていたこともあり、利用者さんからは「バスの運転手さん」と思われていました(笑)。当時のエピソードに「そこの施設に入るにはどうしたらいいんだ?」とバスの窓をたたいて聞いてくる人がいたことを覚えています。
神内 あのころはクルマに社名が入っていたからですね。当時は措置制度のため利用者さんもヘルパーさんも地区割りで入所系施設が決められていた。今はどこでも選べるようになったのでいい時代になりました。しかし、逆に情報がありすぎて選べなくなっている。その情報も、設備や料金など表面に出ているものは分かるけれど、働くスタッフや入居している利用者など中の情報は見えていない。我々のサービスは働くスタッフに依存する部分が大きいので、人がいなくなるとパフォーマンスが下がる。でもそのような情報はスペックとして表現されていないことがほとんどです。
齋藤 そうなんです。そこをいかに掘り下げて読者に情報を届けるかが、本誌の役割のひとつかと思っています。

昔の介護業界は今と大違いだった
瀬戸 介護保険がはじまったのころ2000(平成12)年ごろ、わたしは別の法人でケアマネをしていました。当時は、かなりいいかげんでしたね(笑)。毎月訪問しますが玄関先で印鑑だけもらっていたり、担当者会議もまともにやっていなかった。今は1ケアマネが受け持つ利用者が39件の減算上限がありますが、当時は200件抱えている人もいたくらいです。私はそこまでやっていませんでしたが(笑)。
神内 昔は囲い込みをするな、と言われていましたが、今ではいい意味で「囲い込みをしてくれ」と言われています。なぜなら、バラバラにサービスを受けると連携が取れずサービスの質が下がることがあるためです。今では大きな法人・施設に合併や買収(M&A)、政策誘導も含めた「連携」の波が押し寄せています。小さな事業所は単独で黒字化するのは相当難しいのが現状です。また、地方では介護事業のなり手がいないため、地域の社会福祉協議会がやむなく事業を運営していて、社会福祉協議会の赤字を本体の市町村が補填するという構造があるので、なかなか改善しない部分があります。社会福祉法人は事業継続できることが一番の強みですが、逆を返すと「辞められない・止められない」。そこが民間と違うところです。
瀬戸 介護保険が始まり、ケアマネジャーができたことはいいことだと思います。昔は利用者のマネジメントがなかったので仕方なく自分たちで利用者宅に1冊のノートを置いて、申し送り帳をつくって横断的にわかるようにしていました。措置時代は入居に関しても「ここに入ってください」と双方に拒否権がなく、ある意味サービスの競争がなかった時代でした。そういうことを考えれば、今の時代はすごくいい。利用者の方で事業者の選択ができますから。
神内 当時は、今よりもっと中身が見えない時代でしたね。運営も各施設独自の文化でおこなっているところがほとんどでした。施設のタイムテーブルに乗れない入居者はときに「わがまま」とされていましたね。施設サービス計画があることで、サービスが良くなりました。
瀬戸 昔は集団に対してのサービスでしたが、個別援助計画という概念が入ってきて、初めて個が尊重されてきました。

Vol.2へ続きます

